人の日記を読むのが好きです

あけましておめでとうございます!

というのには少し遅いですが。

 
タイトルの通り、人の日記とか、ブログ記事とか読むのが好きです。
自分が日記を書くことに対しても憧れがあるので、手帳とか、日記とか、新年になったんだし始めたかったんですが始めないまま月日は経ちそうです。
ブログもまたちゃんと書いていきたいなと。
アパートで孤独じゃないとブログを書く気になれなくて。今はアパートです。実家とアパートを行き来する日々。
日記を始めない代わりにブログをがんばりたい…!
中学三年生から高校三年生まではずっとちゃんとブログを更新していたのに(乙女ゲームブログとして始めたのにいつの間にか読書ブログへ変わっていた)、今できないのはなぜだろう。
書くことがないから?
やる気がないから?
 
去年はゲームに生き、イベントに生き、読書が全く進まない年でした。
今年は読書をまた進めたい。
でも読書をしてるとゲームに置いていかれる気持ちになるし、ゲームをしてると読書に置いていかれる気持ちになるし、ゲームと読書のどちらをしていても私は素晴らしい漫画の前を読まずに通り過ぎているんじゃないか!?という気持ちになる自分の面倒くささよ。
 
読書の新年1冊目は南条あやの「卒業式まで死にません」。
自分で日記を書かない代わりに人のを読む作戦。
自傷癖のある女子高生の日記。作者が自殺してしまう少し前まで書かれてます(最後の日記は3月17日で自殺は3月30日)。
「八本脚の蝶」とも「二十歳の原点」ともまた違った読み心地(今挙げた三冊はどれも著者の自殺で終わりを迎えます)。
著者の南条あやさんが文中で、Coccoが好きで何回もカラオケで歌う記述があったので途中からCoccoを聴きながら読んだ(Coccoの強く儚い者たちの歌詞の「あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ」の部分は何度聴いてもヒィィィってなる)。
読んでいて父親の無理解さに腹が立ったけど、私がもし側にいても何もできないどころか追い詰めてそう。
 
好き勝手生きて、いいんだね。
私じゃ父の心を癒してあげられないんだね。
じゃあ私の存在価値って、何なんだろう。
ああ、M先生に電話したい。でも、もう診察終了時間だ。
父が理解できない。努力したけど。
もう、生きていても意味がないのかな?
何の取り柄もない。
気狂い。
親からそう言われてしまうくらいの気狂い。
きっと本当だよ。
私は、いてもいなくてもオンナジなんだよ。
いない方が、いいんじゃない?
気狂いなんだし。
なら、消えてしまえ。