覆された宝石のやうな朝

タイトルは西脇順三郎の「ambarvalia」という詩集の中の「天気」という詩からの引用。
西脇順三郎は私の住んでいる町出身で、私の通っていた小学校、中学校、高校の先輩(というには年が離れすぎてる感はある)で、その校歌の作詞をした人で、ノーベル文学賞にもノミネートされた詩人なのです。みんな覚えて下さい!
今日実家に帰って、かなり前に買ったambarvalia(文庫本なのに1300円もした)が目についたので開いてみたけど、やっぱりよくわからなかった…至らない後輩ですみません。
でも天気という詩が一番好きなのは確か。
たった三行、
「(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。」
という詩なんだけれど。
で、私さっき詩の意味がよくわからないと書いたけれど、今解説見てみたら「西脇順三郎の詩を読んで、よく『わからない』と嘆く人は、いたずらに象徴的に意味をとろうとするからである。それはピカソの絵を見て、夢中に意味を考えようとするのと同じで、見当はずれというほかない。『ambarvalia』という詩集の、日本近代詩における画期的な意義は、それが『意味』をもたない最初の詩集だということだろう」とあった。
意味、なかった!
だからか校歌の歌詞も「薔薇(そうび)の花の人々よ」とか「青空の天使をかたる春の日か」とかたまによくわからないことばが入ってくるけど、思い入れあるかなり好き。
詩集とか短歌とか、好きな人に憧れるけどやっぱり私はそういう人にはまだまだなれなそう。
いかにサブカル女子にならずにintelligentsiaな女子になるかが問題。